妖精のいる村のクリスマス

1.妖精のいる村の冬
 
 11月も末になるとこの村はすっかり雪景色になってしまって、レンガ造りの家の壁面の緋色だけが目立った、コントラストのきつい世界になる。家と家のあいだは十分に離れているから、明け方からわんわんと泣き出した1ヶ月の娘がいまだに泣き止まなくても、家族以外の誰も苦情を述べに来るようなことは無かった。
 
 日が登りはじめてから少し経って、髭面の夫は薪を割りに出てきていた。家をつくるときからずっとある、切りかぶを残した台座に薪を置いてつぎつぎに割っていく。すこし余裕を持たせて残してあった切りかぶも、えぐれてしまうごとに平らにならしていくうち、随分とちびてきた。
 
「お父さんのクリスマスはそれかな」
 
「俺のは、もっと上等なベストだな」
 
 上の娘が聞いてきたので、夫は答えた。毎年クリスマスには妖精がやってきて、願いをひとつ叶えてくれることになっている。
 
「なんにせよ、ありがたいこったね」
 
 妖精はいつだって裏切らなかったし、この家で妖精の存在を信じていない者はいなかった。信じない理由はなかった。とにかく毎年、クリスマスの日にひとつ願いをかなえてくれるのだ。
 
「私のは、もう結婚式のドレスだから、きりかぶは自分でお願いしてね」
 
「ドレスはお母さんが縫うだろ」
 
「村のドレスなんて絶対嫌」
 
 上の娘は今年で14だが、夏の祭りで知り合った、隣の村の男と一緒になることになっていた。隣の村はここよりはいくらか裕福な村で、内陸よりで日当たりもよく、雪が少ない。
 
 夫は割った薪をまとめたのちに、端のほつれたベストをひと撫でして、つぎの仕事に取り掛かった。この海辺の村はほとんど自給であるから、いちにちにやるべきことは沢山ある。
 
 
 
2.妖精のいる村のクリスマス・イブ
 
 火をおこした食卓をかこんで家族が集まる。今年は魚料理ばかりになってしまったが、来年はすこし楽になるだろう。なにより上の娘はとなりの村へ嫁いでゆくし、娘の夫となる男のはからいで、村どうしで魚と肉の交易がはじまることになっていた。
 
 ふたつの村は、昔はまとめてひとつの大きな集落といったような関係であった。しかしあるとき何らかの諍いがあって、以降、祭りのような催しを除いたほとんどの交流がなくなった。娘の結婚は、それをとりもどすことになるのだ。
 
「ウサギを呼んでくるのね」
 
「そういうこと。たまに帰ってきたときは、パレードのひとつでもおねがいね」
 
「お願いした甲斐があったわ。すこし早いかもと思ったのだけれど」
 
 妻は今年の夏、妖精に娘の結婚を願った。するとクリスマスにぴったり挙式があわさるように、娘の結婚がトントン拍子にきまったのだった。
 
「うさぎだけじゃなくて、シカも連れてくるから」
 
 魚ばかりでうんざりしていた娘らしい口ぶりだが、たしかにそれなら来年のクリスマスはずっと豪華な食事になりそうだった。
 
 やがて下の娘が泣き出した。夫はそれをあやしに腰を上げ、同じく立ち上がろうとした妻に向けてかるく手をあげてそれを留める。下の娘をひょいと抱えあげた夫は、ぼそぼそと話しかける。
 
「うちの子はお前で最後だ。おまえは村にのこるか?」
 
 下の娘はなかなか泣き止まなかった。
 
 去年のクリスマス、夫はふたりめの子供を願った。妻はもちろんそれを歓迎していたし、上の娘にしても妹ができることはやぶさかではないだろうと思っていた。しかしいま思えば、なにやら煮え切らない表情をしていたように思う。やがて雪がとけ始めた頃には妻のおなかもみるみる大きくなって、ぴったり十月で下の娘がうまれた。
 
 うまれるまで妹についてどんな話をしても気のない返事をするばかりだった上の娘だが、いざうまれてしまえばかわいい、かわいいと大事にするようになった。それはまごころからの表情にも見えたが、それと同時に、急にじぶんの結婚についての話をすることが増えた。
 
 どちらの娘も、本人がいずれ出て行きたくなるのであれば、夫にそれを止めるつもりはない。もし出ていってしまっても、また夫婦ふたりの生活に戻るだけなのだ。それでなくたって村からは若い人間が減っているのだから、縛り付けておくのはかわいそうだと思う。
 
 
 
3.妖精のいた村のクリスマスの朝
 
 クリスマスの朝のこの村は一面の雪景色で、あたりはレンガ造りの家の壁面の緋色だけが目立った、コントラストのきつい世界だ。家と家のあいだはあまりに離れていて、食べ物の融通をするにも一苦労である。
 
 日が登りはじめてから少し経って、髭面の夫は薪を割りに出てきていた。家をつくるときからずっとある、切りかぶを残した台座に薪を置いてつぎつぎに割っていく。ちびた切り株はもはや薪を立たせるのも一苦労で、どうしたものかと考えたものだった。うまく台座を組んでやれば、なんとか出来そうではある。
 
「あなたのベスト、そろそろ縫うから今晩あずけてちょうだい」
 
「革があればもっと上等になるんだろうがな」
 
「この歳になって、まだそんなこと言うのね」
 
「くせだよ。なおりゃしない」
 
 動物の皮は、海辺のこの村ではほとんどとれない。15年前までは隣の村と融通していたのだが、今ではもう交流すらない。何を隠そう、村と村の関係をだめにしたのはこの夫であった。妻に言わせればそれは「共犯」ではあったのだが、夫は未だに革や肉の不足を自虐することがある。
 
「なおりゃしないの、さっ」
 
 パカンとキレイに割れた薪が転がって、一方の薪が、それを濡らさないよう敷いてある麻の敷布のうえに落ちる。もう一方の薪は、コロンと音をたてて切りかぶの上に残った。
 
 
 
 十数年前、隣の村には長の家を継ぐはずだった娘がいた。親の決めた結婚をきらった娘は、ある年の夏祭りで知り合った男と駆け落ちしてしまったのである。これは大きな騒ぎになった。
 
 狭い村のことであるから、すぐに足はついた。駆け落ち相手の住む村というのは、この海辺の村だった。そのため隣の村からここへ何度も使節が来たが、そのたび娘と男は居留守をつかって隠れ通した。いざ使節と顔をあわせてしまったときも「戻らない」と言って頑としてゆずらず、しまいには娘の両親が長という身分でありながらわざわざやってきて、泣いて頼み込んだことさえあった。
 
 そういったことを何度も繰り返していくうちに、痺れを切らせた先方は娘を諦めるかわりにと、村と村との交易を断ったのだった。それからの事は、大変だった。
 
 ひとくみの男女の色恋によって生活に支障をきたした海辺の村では本当に色々なことがあったのだが、村の人間も最後には、娘と男がここに住まうことを許してくれるようになった。
 
 これが、夫とその妻の結婚の顛末である。
 
 
 
「妖精にお願いしたら」
 
「なにを、お前は」
 
「なつかしいわね」
 
 妻がとうとつに古い伝承の話をしだしたものだから、夫は驚いて言葉に詰まった。そんな話を最後にしたのはもうずいぶん前の話だというのに、まるで最近もそれについて話していたかのように、自然な切り出しかたをした。妻はなんだかうっとりして、とても良い表情をしている。
 
「結局」
 
 夫は薪割りの手をとめ、体ごと妻のほうへ向きなおした。妻がこんなふうに短くことばを切って話すことは稀であるから、大事な話だろう。次のことばを待っていると、いつしか妻の目尻にはすこし涙がにじんでいた。
 
「結局、子供はできなかったけれど」
 
 妻はもともと子を宿しにくい体で、色々な方法をためしたものの結局はうまくいかなかった。そのうち大病を患い、命は助かったものの、そのときにいよいよ希望が潰えてしまった。あれからもう15年前になる。
 
「あのとき一緒になって妖精に願ってくれたことが、嬉しかったのよ」
 
「どうにもならなかった」
 
「それでもね」
 
 当時、藁にもすがる思いで試したもののうちのひとつに、妖精に願いをかけるというものがあった。曰く、村には妖精が住んでいるから、願えばそれを叶えてくれる。クリスマスの日は妖精のために、魚の料理を食べるのが良いとされた。
 
 その年のクリスマス、夫婦は用意できるだけの魚料理を作り、食べ、一緒に子供がほしいと願って眠ったのだった。しかし年が明け、雪が溶け、夏がやってきたけれど、何も起こりはしなかった。しょせんは迷信だったというわけだ。
 
 あれ以来、妖精に願い事をしたことは無い。妻にその頃のことを思い出させるのが嫌だったのだ。
 
 
「すみません、村の方でしょうか」
 
 気がつくと軒先に、あまり見かけない顔の男が立っている。ななめにかけた特徴的なフォルムの鞄は、ずいぶん昔に見たことのあるシルエットだった。あれは確か、隣の村の――
 
「こんな日にすみません。私は隣の村に住んでいるものでして」
 
 妻は夫の顔を見つめたのち、男に向きなおる。夫も妻の肩にかるく触れて、知っている顔か?という意味で視線をかわしたが、妻は首をよこに振った。
 
「この度は、わが村の長の命によって参りました」
 
 男は鞄から、なにやら動物の死がいと、角らしきものの断片を取り出して言った。
 
「読み上げます……“長らく断絶していた貴村との交易をふたたび望む”。こちらはそのしるしに、ウサギの肉とシカの角、です。なにぶん私一人でしたので、シカの肉は今後、おいおいにという事で。よろしくおねがいします」
 
 降って湧いた話に夫婦はおどろいたが、男がうそを言っているようには見えなかった。夫は少し考えてから言う。
 
「村で相談するが……みな、喜ぶと思う」
 
 世代がかわって、許されたのか。夫にはわからない。とにもかくにも、クリスマスの朝からこんな仕事をさせられたこの男を手厚く歓迎してやらねばならないだろう。まだ年若い男は頼りなさもあったが、村々をまたひとつに戻す、かすがいとなってくれるはずだ。
 
 
 
 ついきのうまで妖精のいた村のお話
 
 
 
END