有料の情報に価値はあるのか

 昨今、Youtubeやブログを漁れば無料で有益な情報が得られ、何かを学んだりするにあたっては昔に比べて相当コストが下がってるかと思います。

 

 自分のことを話すと、最近はイラストを描き始めて半年くらいになりますが、それこそYoutubeにあるような情報はとても役立ちました。紙の本もちょくちょく買っていますが、その本にしても、Youtubeの動画で紹介されていて気になって買ったやつ…というパターンのものが数冊あります。

 

 とまあ、何かを始めるには良い世の中になったねという話なのですが、このように「無料の情報」が溢れているなかでも「有料の情報」の価値が失われたわけではない、というのが面白い所です。

 

 Youtubeやブログにもちょくちょく「有料級」と銘打った無料動画が散見されますが、それは「有料の情報」に価値を見出す人間がまだ沢山居る…という証拠になります。

 

 さて、そこでタイトルの本題に戻るのですが、果たして有料の情報には本当に価値があるのでしょうか?

 

 

有料と無料の比較

 

 ひとつ例を出します。

 

・A君はプログラミングを学ぶために有料プログラミングスクールに通い、Macbookを買いました。スクールではなんとなく就職先の斡旋もありそうな雰囲気で、言われたことをやっていれば何とか食っていけるかもしれません。

 

・B君はプログラミングを学ぶために無料の初期学習サービスを利用し、その後は実際の成果物を想定しながら制作を行い、困ったことがあればGoogleで調べました。今後はこうして出来た成果物をポートフォリオにして就職先を探すか、自サービスの開発をやってみるつもりです。

 

 上記の例はどちらが良いとか悪いとかはなく、A君もB君も「学習ができてハッピー」な状況であるといえます。

 更にここでは共通している事があり、それは学習のあと、最終的にうまくいくかどうかは自分次第である、という点です。

 

 

どちらに価値があるのか

 

 実はこれで2つの結論が出ました。

 

ひとつ「有料の情報には価値がある」。

そしてもうひとつ「無料の情報にも価値がある」。

 

 それでは、どちらの情報に「より価値があるか」を考えてみましょう。

 

 情報というものは、提供者がいて初めて生まれます。情報を提供する理由というのも様々で「界隈全体のスキルをアップさせて、ジャンルを盛り上げたいから!」という人も居れば「情報を提供することで、収入を得たい!」という人も居ます。なんの目的もなく情報を提供している人間は、この世には存在しません。

 

 

情報の価値を決めるもの

 

 さあ、提供者の目的が一定ではないということがわかったところで、先程の問いにも答えが出ました。

 

 情報「それ自体」は、有料/無料によってその価値が変わるものではない、ということです。

 

 有料だから内容が優れている、と担保することは出来ず、同様に、無料だから内容が劣っている、と担保することもできないわけです。なぜなら上記で示した通り、人が情報を提供する目的というものは、すべからく金銭のみというわけではなく様々だからです。

 

 さて、情報の価値はそれが有償か無償であることによって変化はしないとわかりました。しかし唯一、情報の価値を左右する要素があります。それは、情報の「受け手」側です。

 

 先程の例に戻りましょう。

 

 A君がプログラミングスクールで得た知識とMacbook、そしてそれらを有効活用できる自主性によって、念願の就職先に就けたとします。この場合A君は、スクールで得た知識はたしかに価値があった、と思うことでしょう。

 

 しかしA君がプログラミングスクールで得た知識を上手く活用できず、期待していた就職先の斡旋も受けられず、自主的に何かするわけでもないまま資金が尽き、仕方なく全く違う職業に就いて10年が過ぎた時に、スクールで得た知識はたしかに価値があった、と心の底から思うのは難しいでしょう(思いたい、というのはまた別の話です)。

 

 

金額を決めるのは提供者。価値を決めるのは自分。

 

 ここまでの内容で、非常に明確な答えが出ています。つまり、情報が有料か無料かを決めるのは提供者側の都合でしかなく、逆に情報の価値を決めるのは受け手の活用次第でしかないということです。

 

 タイトルに戻るとするならば、Yes。有料の情報に価値はあります。しかし無料の情報よりも優れているという理由は一切なく、全ては受け手側の活用次第でその価値が決まります。

 

 

あとがき

 

 「情報を有料化する」ということには大きな利点があり、情報の提供それ自体を収入源とすることで、そこに注げる時間的リソースを最大化出来るという点がそれです。有料の情報が上質である、という(ある種の)偏見は、こうした理由が根っこにあるのでしょう。しかし、内容を伴っていない有料情報なんてものは今も昔もおびただしい数が存在しています。最終的には情報の価値を決めるのは自分である、ということを念頭に、有料であれ無料であれ、自分で選んで情報を得ていく、ということが大切になってくるでしょう。