有料の情報に価値はあるのか

 昨今、Youtubeやブログを漁れば無料で有益な情報が得られ、何かを学んだりするにあたっては昔に比べて相当コストが下がってるかと思います。

 

 自分のことを話すと、最近はイラストを描き始めて半年くらいになりますが、それこそYoutubeにあるような情報はとても役立ちました。紙の本もちょくちょく買っていますが、その本にしても、Youtubeの動画で紹介されていて気になって買ったやつ…というパターンのものが数冊あります。

 

 とまあ、何かを始めるには良い世の中になったねという話なのですが、このように「無料の情報」が溢れているなかでも「有料の情報」の価値が失われたわけではない、というのが面白い所です。

 

 Youtubeやブログにもちょくちょく「有料級」と銘打った無料動画が散見されますが、それは「有料の情報」に価値を見出す人間がまだ沢山居る…という証拠になります。

 

 さて、そこでタイトルの本題に戻るのですが、果たして有料の情報には本当に価値があるのでしょうか?

 

 

有料と無料の比較

 

 ひとつ例を出します。

 

・A君はプログラミングを学ぶために有料プログラミングスクールに通い、Macbookを買いました。スクールではなんとなく就職先の斡旋もありそうな雰囲気で、言われたことをやっていれば何とか食っていけるかもしれません。

 

・B君はプログラミングを学ぶために無料の初期学習サービスを利用し、その後は実際の成果物を想定しながら制作を行い、困ったことがあればGoogleで調べました。今後はこうして出来た成果物をポートフォリオにして就職先を探すか、自サービスの開発をやってみるつもりです。

 

 上記の例はどちらが良いとか悪いとかはなく、A君もB君も「学習ができてハッピー」な状況であるといえます。

 更にここでは共通している事があり、それは学習のあと、最終的にうまくいくかどうかは自分次第である、という点です。

 

 

どちらに価値があるのか

 

 実はこれで2つの結論が出ました。

 

ひとつ「有料の情報には価値がある」。

そしてもうひとつ「無料の情報にも価値がある」。

 

 それでは、どちらの情報に「より価値があるか」を考えてみましょう。

 

 情報というものは、提供者がいて初めて生まれます。情報を提供する理由というのも様々で「界隈全体のスキルをアップさせて、ジャンルを盛り上げたいから!」という人も居れば「情報を提供することで、収入を得たい!」という人も居ます。なんの目的もなく情報を提供している人間は、この世には存在しません。

 

 

情報の価値を決めるもの

 

 さあ、提供者の目的が一定ではないということがわかったところで、先程の問いにも答えが出ました。

 

 情報「それ自体」は、有料/無料によってその価値が変わるものではない、ということです。

 

 有料だから内容が優れている、と担保することは出来ず、同様に、無料だから内容が劣っている、と担保することもできないわけです。なぜなら上記で示した通り、人が情報を提供する目的というものは、すべからく金銭のみというわけではなく様々だからです。

 

 さて、情報の価値はそれが有償か無償であることによって変化はしないとわかりました。しかし唯一、情報の価値を左右する要素があります。それは、情報の「受け手」側です。

 

 先程の例に戻りましょう。

 

 A君がプログラミングスクールで得た知識とMacbook、そしてそれらを有効活用できる自主性によって、念願の就職先に就けたとします。この場合A君は、スクールで得た知識はたしかに価値があった、と思うことでしょう。

 

 しかしA君がプログラミングスクールで得た知識を上手く活用できず、期待していた就職先の斡旋も受けられず、自主的に何かするわけでもないまま資金が尽き、仕方なく全く違う職業に就いて10年が過ぎた時に、スクールで得た知識はたしかに価値があった、と心の底から思うのは難しいでしょう(思いたい、というのはまた別の話です)。

 

 

金額を決めるのは提供者。価値を決めるのは自分。

 

 ここまでの内容で、非常に明確な答えが出ています。つまり、情報が有料か無料かを決めるのは提供者側の都合でしかなく、逆に情報の価値を決めるのは受け手の活用次第でしかないということです。

 

 タイトルに戻るとするならば、Yes。有料の情報に価値はあります。しかし無料の情報よりも優れているという理由は一切なく、全ては受け手側の活用次第でその価値が決まります。

 

 

あとがき

 

 「情報を有料化する」ということには大きな利点があり、情報の提供それ自体を収入源とすることで、そこに注げる時間的リソースを最大化出来るという点がそれです。有料の情報が上質である、という(ある種の)偏見は、こうした理由が根っこにあるのでしょう。しかし、内容を伴っていない有料情報なんてものは今も昔もおびただしい数が存在しています。最終的には情報の価値を決めるのは自分である、ということを念頭に、有料であれ無料であれ、自分で選んで情報を得ていく、ということが大切になってくるでしょう。

 

 

 

いくら仕事を頑張っても安心を得られるわけではない

この記事の目的

 

・仕事に対する責任感が強く、それが精神的負荷になっていると気づき始めた人

・他人に認められたいのに認められないのが苦しいと感じている人

・自分のダメさが嫌で、努力しているが上手くいかない人

 

上記のような問題を抱えている人の背負っているものを、

すっきりと降ろしてもらって気分良く生きてもらいたいという記事です。

 

しかしあくまで、考え方の提案に留まるものなので、

その後どう生きるかは本人次第でしかありません。

 

また、金銭面による生活苦については別の問題ですのでこの記事では触れません。

あくまでメンタル的な問題を抱えた人向けの記事です。

 

 

自分の価値を他人に求めるから苦しい

 

基本的に「この記事でわかってくれる」とは思っていないので

結論から述べますが、上記のような方々の苦しみの原因は

自己評価の軸が外部にあるからでしかありません。

 

もっとわかりやすく言えば、自分の価値を他人に決めさせているわけです。

これは該当者でも「自分はそうではない」と思いがちなので、以下に例を挙げます。

 

 

仕事 お金 肩書

この見出しにあるものは全て「自分の外にある自己評価の軸」です。

 

たとえば仕事をするのは自分ですが、

仕事が出来ると評価するのは他人です。

 

お金を稼ぐのは自分ですが、

そもそもお金は他人からの評価が形を成しただけの物です。

 

肩書は自分で決めることも出来ますが、

それが共通認識になるかは他人次第です。

 

 

なぜ苦しむのか

 

まず「他人の評価をコントロールすることは出来ない」

という大前提があります。

 

良い仕事をしたと思っても評価されなかったり、

良い物を作ったと思ってもお金にならなかったりします。

 

この前はOKだったものが、今回はダメなんてことも、ざらにあります。

 

自分が常に100%のチカラで取り組んでいても、

認められるかどうかはせいぜい50%程度の確率。

 

これってめちゃくちゃ効率悪いし、

冷静に考えて割に合わなくないですか?

 

 

自分の評価なら覆る心配がない

 

この見出しからおそらく、一部の読者にとっての脱落ポイントになります。

でもそれも仕方がないと思ってるので、理解する気のある人だけ読み進めてください。

 

上で挙げたような「仕事やお金」等の評価軸はあくまで他人によるものなので、

うつろいやすく、およそ頼りにはならないものです。

 

究極、自分の命を預けるようなものが

そんな適当なものじゃ弱すぎると思いませんか?

 

なので絶対に、自分のことは自分で評価する必要があるんですね。

 

しかしこれは、この記事含め

他人に言われて簡単に得られる感覚じゃない場合が殆どです。

 

なので「答え」だけを教えておくので、頭の片隅にまず置いてください。

 

それはあなたが、生きてるだけで偉いという事実です。

 

 

それでもなぜ他人の評価を気にするのか

 

誰もが生きてるだけで偉いのは揺るぎようのない事実なのですが、

そう思えない理由というものも存在しています。

 

悲しいことにそれは、伝搬する呪いです。

 

仮定で話をします。

 

 

むかしばなし 老害と若人

 

・むかしむかしあるところに「仕事が出来るからこそ、生きてる価値がある」

 という価値観を持っている人(Aさん)がおりました

 

・悲しいことにAさんは、

 仕事が出来なければ生きている価値がないと思っています

 

・そこに「仕事が出来るかなんてどうでも良い」と

 思っている人(Bさん)がやってきました

 

・Aさんにとってそれは許しがたいことでした。

 なにせ、仕事が出来るからこそ生きていて良いのであって

 それを「どうでも良いこと」と思っている人間は邪魔なのです。

 

・なぜならそんな考え方がまかり通ってしまえば

 仕事しか出来ないAさんの価値が失われてしまうからです。

 

・そこでAさんは「仕事が出来ない人間は生きてる価値がない」と

 Bさんに何度も何度もしつこく言い聞かせました。

 なんなら、Aさんと同じような考え方の人を呼んできて

 Bさんを囲んで「仕事をしないお前はクズだ」と言い続けました

 

・かわいそうなBさんは「仕事が出来ない自分はクズだ」と思うようになり

 いずれまた別の人に、その考え方を強制するようになったのでした

 

・めでたし めでたし

 

 

呪いの正体

 

つまりどういうことかと言うと、評価軸が外部(仕事・お金など)にある場合

その価値を保つために他人にまで干渉しようとする致命的な問題が発生します。

これが呪いの正体であり、悲惨な現実です。

 

そしてこうした例は何も特別なものではなく、

現代社会に蔓延っているごく一般的な、それと知らず受けている呪いです。

 

 

この記事はここまで

 

この記事で出来るのは「仕組みの解説」までです。

ここから先、自己評価の軸を他人ではなく自分の内側に置けるかどうかは

その人次第であり、どうやっても無理な人も居るかもしれません。

 

特に、幼いころから刷り込まれた価値観というのは

覆すのが難しいことが多いです。

 

・勉強ができないと親に冷たくされた

・兄弟/姉妹とよく比べられた

・もっと直接的にクズだと言われ続けた

 

といった環境で育った場合、ここから立ち上がるのは至難の業です。

 

なのでせめて、最後にもう一度だけ伝えさせてもらおうかと思います。

あなたは生きているだけで偉いのだから、なにも焦る必要はないんですよ。

 

 

 

 

 

東京クロノス ネタバレ無し感想

「東京クロノス」は
 PSVR、またはOculus Quest 2等のプラットフォームで楽しめる日本製のVRビジュアルノベル ゲーム。簡単に言えば、最低限の分岐をはらんだ文字読みゲー です。
 
 とまあ、なんだかつまらなそうな表現になってますが、それでもわざわざ記事にするのだから、気に入っているという事ですね!
 
 

最後にはみんな他人じゃなくなってる

 
 ストーリーは「無人の渋谷に、自分含むかつての幼馴染たち8人だけが取り残された」という導入で、それぞれが協力したりしなかったりしつつこの世界からの脱出をはかる、といった感じのもの。最終的に言いたい事とは関係がないので、あらすじの雑さには目を瞑ってほしい。
 プレイヤーは主人公である男の子に憑依するような形で、彼の目を借り、彼の声を発して物語を追っていくことになるのだけれど、8人がかつての幼馴染であるという事実については言葉の端々から汲み取ったり、記憶をたどるシーンで当時の様子を伺ったりなどで徐々に理解していく仕組みになっている。
 概要はここまでとして、ここで伝えたいことは物語を走り終えた時に自分の心の中に芽生えた感情のことだ。それは「こいつらは俺にとって他人ではない」という感覚だった。 
 

思い出も守りたい想いも自分のものになる

 
 ストーリー上のキャラクターの行動原理については正直なところ、そうはならんやろと思ってしまう部分は一部存在する。これについては人によって受け取り方が違うので、あくまで自分はそう思ったという程度の話である。しかし、結局プレイを終えてしまえばそんなことすらどうでもよくなってしまった。それは一体何故なのか。だって、これは、俺たち自身の物語だから……
 お前は一体、何を言ってるのだと。そう言いたくなるだろうけど、感じた気持ちは本物なのだから、こう表現するほかない。当事者感覚というものが芽生え、それはどうやら些細なことを忘れさせるようなのだ。これが本作で一番驚いたことである。しかしなぜ、このようなものか生じるのか。ここで一旦、システム面で関心した部分について語る。
 

いまどんな顔してる?が確認できる

 

 本作はVRであるから、周囲を自由に見渡すことが可能だ。とはいえ、さほどグリグリと動きまくるような絵面ではないので、見てるだけで面白い!エンターテイメント!というわけにはいかない。しかし本作は、謎に挑み、キャラクターの思考を想像したくなるようなビジュアルノベル作品である。地の文と会話の繰り返しで物語は進むのだが、ここで文章を追いながら、自分がユニークな行動をとっている事に気づく。
 すなわち「このタイミングで、あいつはどんな顔をしてるんだろう?と思い、そちらを振り向く」という動作だ。
 

 カットやフレームがないという事  

 
 開発者の方の対談などもいくつか読んだのだが、VR世界での映像表現の作り方というものは、これまでの映像作品とは全く異なるもののようだ。というのも、映画やアニメではフレーム(要するに画面・カメラフレームのこと)やカットを意識して作る必要があるのだが、VR作品にフレームは存在しない。注目してほしい部分があるのなら、プレイヤーの「意識」をそこに向け、振り返らせるような仕掛けが必要になる。
 たとえば視界内のキャラクターたちが一斉にある方向へ振り返り、指をさすなりすれば、そっちが気になって振り返ってしまうだろう。
 前述した「あいつどんな顔してるのかな」はこれとはまた少し違った要素だけれど、製作者の注目してほしい部分でなくてもプレイヤーが気になったところを自由に確認出来るというのは実に面白い。プレイヤーの数だけのフレームが存在する、といったようなイメージだ。
 

 声のチューニング

 
 本作の特徴的な部分で、音場の作り方がある。立体音響なので、キャラクターの居る方向からしっかり声が聞こえる。そして何よりユニークなのは「自分の声」だ。正確には自分が憑依しているキャラクターの声なのだが、これも立体音響によってまるで自分の声帯から発せられているような位置から聞こえてくる。また、そうしたチューニング施しているのかもしれないけれど、自分の声帯から発せられている(と錯覚する)キャラクターの声の聞こえ方が、他人として聞くときのそれと少し違うのだ。
 わかりやすい例をあげると、現実世界において自分が話しているときに聞こえている声と、それを録音して聞いた時とでは聞こえ方がぜんぜん違う!と思う体験は、ほとんどの人が経験していると思うが、それと似通った違和感が、どういう仕組みなのかわからないがゲーム内で実装されているのだ。あまりにも独自の体験である。
 

当事者感覚の芽生える理由

 
 ここでシステム面の話から「当事者感覚」の話に戻る。なぜシステム面の話を挟んだかなのだが、実際自分にはこの当事者感覚が何によって得られたのか、未だに判断がついていないのだ。
 考えられる候補としては、ストーリーテーリングが素晴らしく、かつ自分が許容できる内容であったから、という可能性がひとつ。もう一つは、これがVR作品で、上記のように工夫されたシステムのひとつひとつが影響して、この当事者感覚を作り上げたのかもしれない、というのがひとつ。
 各種のシステムにより巧妙に「自分がそこにいる」と刷り込まれた結果物語への没入感まで増してしまったのではないのかと睨んでいるのだが、もしかすると両方あってこそ奇跡的に得られた得難い感覚なのかもしれない。
 

VRである意味があったかどうか

 
 一部のレビューを見ていると「VRである意味はなかった」などと言われている場合があるのだが、自分は上記のような理由からまだ判断しかねているところがある。実際、これがVRでないただのビジュアルノベルであったとして、ここまでの当事者感覚を得られたかどうか、というのがわからないからだ。そう、たしかに本作のVR要素はわかりやすい「体験」ではないし、こんなことが出来る、といったように他人に紹介できるような派手さはないから、VRである意味がなかったのでは?と思ってしまう事もあるのかもしれない。
 

気になった点

 
 これは開発側があえて設定したことであるそうなのだが、とにかくVR世界でのキャラクターが「クソデカい」のだ。これには色々理由があって、まず第一にVR酔いの防止。目が疲れないよう文字をなるべく遠くに配置しつつ、文字とのバランスを破壊しないために逆算してキャラクターのスケールを大きくしている。また、キャラクターモデルを細部までよく見えるようにして、視覚的な魅力を損ねないための工夫をしている、とのことだ。
 クソデカいと言ったがどのくらいかと言うと、これはもう開発が自ら公表しているが3.5倍スケールで作っているらしい。
 至近距離のキャラクターはその半分くらいにチューニングしたりなどはしているものの、何にせよ1.8~3.5倍スケールのキャラクターが「そこにいる」という感覚は、やはりムックやガチャピンのきぐるみの存在感と一緒なのだ。キャラクターモデルは確かにとても良く出来ていたから良いのだけれど、こうした「体験を切り捨てて表現を選んだ」作品であるならば、たとえば至近距離に女の子が来てドキドキするというようなシチュエーションも、完全に捨ててしまってほしかった。正直、ドキドキするどころか目の前にガチャピンくらいのサイズの美少女が居ることの不思議さが勝ってしまった。
 

というわけで

 
 おおむね2~3日かけて13時間強くらいでのクリアとなった本作だが、 そこからレビューや感想を読みふけり、お気に入りの劇中歌「光芒」をハイレゾで購入しヘビロテし、こうした記事を書いている時間まで含めて4日程度としよう。
 この時間、とても尊いものだった。
 たとえば、筆者は音楽というものを完全に音から楽しむタイプで歌詞は一切頭に入っていないのが通常なのだが、今回に限ってはむさぼるように歌詞を聞き取ろうとし、聞き取り、意味を理解して全身に鳥肌を立たせ、多幸感とともに胸のあたりが暖かくなっている。
 ゲームに夢中で、そのことばかりを考えてしまうという時間はもう随分長い間なかった。たとえばダンガンロンパシリーズや、逆転裁判シリーズ、シュタインズ・ゲートなんかを触ってみれば、また同じように熱中できるのかもしれない。だが、考えれば考えるほど、今この胸でくすぶっている当事者感覚は得られないような気がするのだ。

 

 

 

 

ゲームが上手くなりたい人向け、上達の仕組み

 

  以下に記すことについてはゲームの上達に限った話ではないし、人生において一度でもそれなりの強度で「勉強」を経験してきた人にとっては、当たり前の話かもしれない。しかし少なくとも、自分がこの結論に達するまではそれなりに時間がかかったし、参考にした情報ソースも様々だったので、さらっとまとめることにしました。

 

そもそも上達とは

 上達というものについてボンヤリとしか理解していない人にとっては目からウロコの話になると思うけれど、端的に言えば上達というのは「ミスを見つけて修正すること」でしかない。ミスの無い完璧な状態に仕上げるのが最終目標であることは、少し考えてみればわかると思う。完璧になりたいよね? お兄さんと一緒に、完璧になってみない?

 とはいえ、その道のプロですら「完璧」であるということは無いんです。いやこれ、ほんとのことで、人間は、何かをし続けている限りは常に上達の途上ということなんです。素人から見るとプロのミスなんてわからない程度のものだから、ほぼ完璧じゃん!とか思いますけどね。

 

上達の早い人とは

 ゲームにしても何にしても、上達の早い人というのは居ますよね。そういう人を見ると「こいつ、またかよ」って思ったりしますね。またお前は俺を置いていくのかよ、知ってたけどな。っていう思考です。えっ、しない? 俺はするんだよ。少なくともな。

 これは「ポイントをおさえるのが上手い」「コツを掴むのが早い」などと表現されることが多いけれど、この記事の理論をもってそれを説明するとすればそれは「ミスを見つけるのが上手い」という事になる。

 自分が、そこで何をミスしたのかを素早く、的確にとらえて修正できる能力というのが、すなわち上達の早い人の特徴となるわけですね。

 

上達速度を早める方法

 では、生まれ持った才能を覆すことはできないのかと言えば、そうでもない。希望を持て。スタートラインの差は個々の特性としてあって当たり前なのだが、ここで大切なのは「ミスを見つけるという行為がひとつの技術である」という点だ。

 これ、何が言いたいかと言うと、「ミスを見つける技術それ自体は、努力次第で上達させることができる」ということだ。

 自分が自分のミスを意識して捉えるたびに、ミスを見つける能力というものも成長していく。サーチのレベルが上がるのだ。そうすれば、徐々に細やかなミスも見逃さないようになっていくし、要点となるミスを選り分けて認識できるようになる。いいか、もう一度言うぞ。ミスを見つける能力が成長するんだ。

 

練習とは

 そう、そこで必要なのは反復練習だ。これはみんな嫌いなやつですよね。俺は大嫌いだからほとんどやらないんだけど、つまり、上達というのは「ミスを見つける練習というものを反復して行って、ミスを見つける技術を身に着けて、そこで見つけたミスをさらに反復練習で修正して体に叩き込んでいく」という修行なわけなんです。すくなくとも、俺にとっては。そしてお前らの一部にとっても、そうなる。念じて覚えるといい。

 

余談:スランプ

 みんな何かをやってるとスランプってあるじゃないですか。これまで出来てたことが出来なくなって、本当につらいみたいな。腕前が落ちちゃったような気がする、ってやつですね。まあそれ、勘違いなんですけど。

 これ、スランプっていうのは、この記事の理論を用いればめちゃくちゃ単純な話なんですよ。ようは、これまで気づかなかった自分のミスに気づくようになったってだけなんです。出来ると思い込んでただけで、相当なゴミだったわけですよ。出来ると思いこんでるだけのゴミ。救いようがない。それが、なんとですよ。今、スランプであるあなた、あなたは自分が出来ないことに気づいたゴミへと進化したわけです。ゴミ仲間として、末永く仲良くやっていこうな! そう、じゃあ、あとは、見えてるミスを直すだけ。お前の人生、これから暫くは上り調子だよ。良かったな。焼き肉でもなんでも、少しはおごれよ。俺はおごられることに対して、一切なんの感情もなく受け入れることが出来る、いわば天才なんだよ。

 

ミスを見つけるコツ

 とはいえ漫然と物事をこなすことに慣れきってしまったお前らにとって、ミスをいちいち見つけられるように意識するというのはまあ、かなりの努力が必要になるという可能性がある。実際、俺はすごく苦労した。でもコツを見つけたから、ここで教えておこうと思う。

 

アウトプットを意識低く受け入れろ

「アウトプット」という言葉は、人生というか成長という概念においてとても重要なものであるのだけれど、なんとなく意識が高い感じがして苦手!みたいな人も居ると思う。でもこれ、意識が高いとかなんじゃなくて、自分にとって有用であるから使ってるだけなんですね。自分がオタクだからといって、一切のウェイ系要素をシャットアウトするのは損する生き方なんで、出来れば今すぐ改めたほうが未来のお前にとって良い。改めよう。

 で、本題に戻るけど、アウトプットとはつまり出力、自分から湧き出るパッションを、他人が理解できる程度の人語に翻訳してから、文字か音声に乗せるという作業のことを指す。俺が今まさにこうしてブログに文字をしたためているのもアウトプット。とし子さん、晩飯はまだかのう?と声に出して訴えるのもアウトプット。好きです、結婚してくださいと伝えるのもアウトプットだ。プロポーズの日のことを思い出したよ。こんな俺でも、緊張する瞬間というものはあった。

 それで、こうしたアウトプットを行うことで何が起こるかと言うと、これほんとにビックリなんだけど、自分の思考を「確定」することが出来る。え、何を言ってるの?って話になるかもなんだけど、逆に俺がお前らに問いたい。え、何やってるの? だって「確定」しないと、脳内にあるのはただフワフワした適当なイメージだけでしょ? 俺らの脳みそは、フルに使えばスーパーコンピューター富岳よりポテンシャルあるかもなんだけど、なんとなく使ってるだけだと、棒倒しくらいの事しかできないわけ。自覚しような。

 

結局なにがコツなのよ

 俺がここで推奨するのは「常にアウトプットしながら物事に接しろ」ということなんですね。いや、どういう事? とか思うかもしれないけど、読んで字の如しでしかないので、これ以上の説明が出来ない。素数みたいなものです。ちなみに素数の正確な定義についてしっかり覚えたのは、つい最近。数ヶ月前になります。みんな、こんな僕をよろしくね。愛されることは得意だよ。

 話を戻して、なにも極端な事は言ってないです、ここでは。よく老害が「メモしろ」だのなんだの言うケースがあると思いますけど、いやマジ老害だなって思う前に一応その効能だけは理解しときましょう。これって正しい方法で行えば、まずまず効率の良い学習方法だったりするんです。正しい方法というのは、自分の言葉でメモするならば、ということです。言われた言葉をそのまま書くだけだと全くなんの意味もないですが、自分が噛み砕いて理解したその内容を文字にして書き出す、というのであればOKなわけです。そうするのであれば、あなたは成長出来ます。その瞬間、あなたの脳内のフワフワとした、さして考えきれてもいない、ゴミみたいな思考が、文字にする、言葉にするという行為を経て、不備や矛盾について推敲されて、がっつりと洗練されてゆきます。ようやく人の役に立てるレベルになったぞ、よかったな。

 

やりかたとか方法

 メモでもいいんですけどね。なんとなくムカつくなら、メモじゃなくてもいいです。なんかノートとか広げて、ダーッと書くとかね。そんなんでいいですよ。そういう思考法もあるくらいですから。

 あとよく言われるのは「人に教える」というやつですよね。他人様に教えるという前提で物事を覚えようとすると、いきなりハードル上がります。これも、アウトプットの一種だったりしますね。そう、アウトプットってハードル高いんですよ。俺に言わせてみれば、アウトプットがハードル高いんじゃなくて、インプットした気になってる赤ちゃんがハードル低すぎてヤバすぎるってだけなんですけどね。こういうの、社会人研修とかで習う内容だと思うのでこれ以上は言わないでおきます。

 そして個人的にオススメなのは、実況動画、もしくは実況配信をしろということです。これ、バカみたいですけど滅茶苦茶オススメです。だって、常に自分が何を考えて、なにをしようとしているのか、言葉にしてアウトプットする必要があるんです。こんなの、成長しない方がおかしいじゃないですか。無思考を追い出すことが出来る最強の手段です。現代においては。

 まあ別に電波に乗せなくてもいいんですけど、だって電波に乗せて誰かに聞かれてないと、お前らサボるじゃん。平気で。なんかこう、涼しい顔して。だから監視が要るじゃんね。すくなくとも俺は、要りますよ。監視が。要るというか、居てくれると助かります。だからその、なんだ、つまりだな

 

 みんな、ありがとうな!!!(唐突におわり!!!)

VRChatにログイン出来ない / Invalid Username or Passwordと表示される原因

 

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※私は特に情熱をもってVRChatへ励んでいるわけではなく、

たまにあるイベントや催しを冷やかしついでに見物しているだけの素人プレイヤーです。

しかし、ことログインについての問題はかなりフラストレーションだった上に

かなり時間を食ってしまったので記録として残しておきます。

 

  

前提

VRChatを起動してログインする際、Invalid Username or Passwordと表示され入れないことがあった。

「ことがあった」というのは、たまに同じ入力内容でも入れる場合があったからだ。

 

結論

設定したパスワードに半角カナが使用されていたためログイン出来なかった(?????)

 

原因

1.VRChat公式サイトにてパスワード設定を行うと、フォームの設計上、自分がどういう形態で文字を入力しているのか判別できない(日本語なのか英語なのかわからず、画面上は「●●●」のような目隠しのキャラクターで表示される。表示させるオプションも存在しない)

 

2.そのうえVRChatは2バイト文字にフレンドリーな仕様なのか、ユーザーネームはもとよりパスワードにまでそれが設定可能であった(マジでやめろ)

 

3.パスワード設定の際、半角英字のつもりで入力していた文字が実は半角カナで入力されており、具体的な例を出すと「クハコチ548ケコ1136」のようなパスワードになっていた

 

判明の経緯

VRCクライアントではログイン出来ないものの、なぜかVRC公式サイトでは問題なくログイン出来たため、最初は自分のログインネームの2バイト文字を疑い、IMEを変えて入力してみるなどの対処を行っていた。しかし結果が実らなかったため、初心に戻り全てをコピペで行うというアナログ手法に回帰することを決意。

 

Chromeで管理されているパスワード情報(Chrome設定>自動入力>パスワード)を開いて、検索バーにVrchatと入力して出てきたパスワードを表示させ確認したところ、上記のような半角カナ混じりの文字列が表示され号泣〜号泣〜

 

ログイン出来ない場合のひとまずの対処法

1.パスワード再設定を試す

 

2.それでもだめな場合はパスワードに半角カナがぶちこまれてる可能性大なので、ChromeでVRC公式サイトの自動入力パスワードを確認→表示されたパスワードをコピペしてログイン

 

根本的な対策

公式サイトにてパスワード設定を行う際は、notepadなど別アプリであらかじめ入力しておいた英数パスワードをコピペして設定するようにする。VRCのフォームを信用しないこと。

 

以上、この問題について調べてたとき「解決した」とか、何事もなくその後も遊んでる人は見つかるのだが肝心の解決法が一切書いておらず本当にイラつ……困ったので、今後のため記事にしたためておきました。

 

「こんなアホなこと自分しかやらないだろ」とは思わず、トラブルシューティングは共有しよう。

なぜYoutuberは高評価・チャンネル登録を求めるのか

 簡単に言えばそれは数字を増やしたいからという話でしかないのであるが、ここで述べるのは「なぜ毎回のように動画内でそれを言うのか」という話ある。至って単純な話なので、今の時点でよくわからない人は「そうなのか」程度に思いながら読んでくれるとありがたい。
 
 

投稿者と視聴者のおおきな違い

 
 まず、投稿者にとって動画や配信が認知されることは(基本的には)喜ばしいことである。そもそもそれを嫌うのであれば、発信自体を行っていない。しかし、これが視聴者側からすると少し話が変わってくる。視聴者はコンテンツを見たいからそこへ訪れているわけであって、決して数字を増やすために動画や配信を見ているわけではないのだ。当たり前すぎる話だが認識として持っておいてほしい。
 
 

投稿者が気にかけている視聴者層

 
 さて、そうなってくると問題になるのは「面白いから見てるけど、チャンネル登録や高評価は押さない」層だ。マーケティング的な話なので割り切って聞いてほしいのだが、再生数や売上などの数値を伸ばすためにはいかに「一見さん」を引き止めるか、というのが最重要課題となる。もちろんお得意様はお得意様で大切なのであるが、曲がりなりにも数字を伸ばそうとしている商売人があえて優先順位をつけるとするならば、それはやはり一見さんのほうが大切になる場合が多い。
 
※もちろん、例えば大手のお得意様が横のつながりで顧客を紹介してくれたり、そういった繋がりがメインで顧客を増やすパターンも存在するのだが、かなりレアなケースと言える(レア故にそういった顧客は本当に大切にすべきであるのだが)。それに、紹介という底上げがあるとはいえ、その人も広義では「一見さん」であるのだから、そこを引き止めるのが大切なのには変わりがない。
 

なぜ毎回言うのか

 
 Youtuberが毎回のように「チャンネル登録・高評価おねがいします」と述べる理由、それはその場限りで別な投稿者のところへ飛び去ってしまう視聴者が殆どで、しかもそういった視聴者こそが数字を上げるための急所となるからだ。
 
 これの仕組みについて、以下に説明する。
 
 

一般的なYoutube視聴者の行動パターン

 
 基本的に視聴者(消費者)というのは「手に取りやすい場所にあるものを手に取る」という仕組みで動いており、わざわざアクセスの悪いところへは行かない。プロの投稿者の多くが毎日配信や投稿を行ったりするのは、単純にそれが収益に結びつくからという理由に加え「そこには常にコンテンツが存在する」と周囲に知らしめるという理由がとても大きい。例えは悪いが、野良猫の餌付けと同じである。毎日エサをおいておけば猫はそこを巡回するようになるが、一旦それを渋れば他の家、定期的にエサをくれる場所へとルートを変えるだろう。残念なことにただそれだけの話であり、俺が猫でもそう。YouTubeにおけるコンテンツ量は日に日に増大しているし、同ジャンルにおいてのライバルも無数に存在するだろう。自身が本当に唯一無二の存在である場合を除いて、この仕組みは覆らない。
 
※面白いことに毎日投稿といった形態は、主題である「チャンネル登録」に結びつきやすくスノーボール(好循環による数値的な増大)が起きやすいという一面を持つ。これについては主題から外れるため、機会があればそのうち。
 
 

視聴者にその自覚はない

 
 さて、投稿者側からすると「見てほしい/見てくれた人を離したくない!」という気持ちが強くあるのに対し、視聴者側は「そんな気持ちが存在していることすら知らない」ということが殆どだ。これがなぜかというと、投稿者を始めとする作り手の気持ちというものは、少なくとも「何かを作って公開する」という手順を踏んだことのある人間にしか、正確には理解し得ない感情だからである。これは本当に致命的な要素であり、あらゆるクリエイティブな物事すべてに当てはまるはずだ。
 
 

結論「チャンネル登録・高評価おねがいします」とは

 
 とどのつまり、なぜ投稿者が動画内でわざわざ「チャンネル登録・高評価おねがいします」などとのたまうのか。これは視聴者へ向けて「そういった気遣いがこの世には存在しているのですよ」と教えている事に他ならない。先程も述べたように、動画を見る側・視聴者というのは数字を増やすために動画を再生しているのではないし、投稿者側の気持ちもわからないことがほとんどだ。そんな視聴者へ向けて「数字が増えると投稿者は喜びますよ、もしかするとそれで投稿数も増えるかもしれませんよ」と念を押しているのが「チャンネル登録・高評価おねがいします」なのだ。
 
 自分が投稿する側に回ったことがないという方へ向けて、理解しやすいよう以下に簡易に示すことにする。
 
 
 
 
投稿者の「チャンネル登録・高評価おねがいします」とは
 
 
 
 
もっと見てください!
 
広めてください!
 
褒めてください!
 
お前、それ、言わんと気づかんやろ!?
 
 
 
 
を、柔らかく述べたものであります。
 
 
 
 
 ご精読ありがとうございました。
 
 
 

身内向けAPEX Tips(初~中級者むけ)

・索敵の重要性

 
 FPSにおける攻撃は「敵を視認」→「狙いをつける」→「射撃」という流れを踏む必要があるが、撃ち合いにおいてはこの「視認」→「狙いをつける」までのプロセスをいかに短縮するかが焦点となる(射撃部分はbot撃ち等を続けるだけである程度までは上達出来、APEXにおいてのaimそのものは「ある程度」で十分である)。
 
「敵を視認」→「狙いをつける」までを短縮するために、そこを反応速度で補おうというのは、反射速度が重要になるタイプのFPSゲームのプロ選手がおおよそ10~20代前半で構成されていることから考えてもかなり不毛であるが、幸いなことに(特に)APEXにおいては「索敵」によって大幅な優位を構築することが出来る。
 
 索敵というのは敵のおおまかな位置を把握するということであるが、それらの情報は敵の足音や銃撃音、その他状況等によって得ることが出来る。キャラクターが持つスキル(ブラッドハウンドの戦術スキル・クリプトの戦術スキル)によっては、より視覚的にそれらを得ることが出来るため、かなりのアドバンテージになる。
 
 

・索敵あり時となし時の差

 
 例えば目の前に箱状の遮蔽物があったとして、その裏に敵が居ると思って進むのと居ないと思って進むのとで何が変わってくるのだろうか。
 
 少なくとも、その場に敵が確実に居るとわかっている場合、武器を取り出し、飛び出してくるかもしれない場所をaimし、マウスの左クリックをいつでも押せる状態にした上で進むはずだ。
 
 逆にその場に敵が居ないと思って進む場合は、もしかすると武器を格納しているかもしれないし、aimは進行方向の中空をさまよっているだろうし、マップを開くなどしてすぐには射撃できない状態の可能性もある。
 
 つまり「くるかもしれない」と思っているということはそれだけで様々な有利条件に繋がるようになっている。自分の反応速度にゲタをはかせられるということであり、もっと正しく表現するならば、こういった索敵によって得られた優位を、相手が反応速度だけで覆すのはほとんど不可能に近いと言っていい。
 
 

・敵の位置を把握できた状態で行うことのできる各種テクニック

 
置きエイム:
 敵が出てきそうな場所にaimをしておき、見えた瞬間に射撃ボタンを押すだけの状態にしておくこと。aimする時間が省けるため、純粋な反射ラグのみで攻撃が出来る。もちろん微調整する必要もあるが、それでも大幅な有利が取れている行動。
 
決め撃ち:
 敵が居るであろう場所に進行して、正しく視認する前に射撃を行うこと。
 たとえば遮蔽物裏に「確実に敵が居る」とわかっている場合、本来は「移動(覗き込み)」→「視認」→「射撃」というプロセスを経て攻撃に至るが「視認」→「射撃」の間には人間が超えられない、反射速度という壁がある。
 そこで決め撃ちの場合、「視認」を省いて考えられる限り最速のタイミングで射撃を行う。たとえば敵が確実にそこに逃げ込んでいて、他に行く場所が無い場合など、精度が高い索敵を行えている場合に「このへんだろ」という具合に「きちんと見える前に撃つ」のが決め撃ちだ。
※マスティフショットガンを持って遮蔽物を利用した戦闘をする際、自然とこれを行っている場合が多い。1発目は視認ラグが発生するものの、一旦遮蔽物の裏に隠れて2発目を撃ちに行く際はほとんど視認に頼らず最速で撃っているはずだ。
 
スニーク(ハイド):
 一方的に敵の位置が把握出来ているということは、こちらは相手に気取られず接近することすら出来るということだ。
 音を立てない接近方法(しゃがみ歩き、断続的な歩き、敵同士の射撃音が鳴り響くなかでの走り等)を利用することで、敵がこちらをまったく警戒していない状態で、逆にこちらは攻撃態勢の整った状態で当たることが出来る。
 
 

・遮蔽物を使った戦闘で、なぜ自分から顔を出すほうが強いのか

 
 索敵が互角である場合、つまりお互いに存在を認識している場合は、基本的には自分から顔を出す方が強い場合が多い(不利な状況については後述する)。
 
 仕組みとしては、
 
顔を出す側:
 自分が顔を出すタイミングだけ射撃ボタンを押せば良い
 
顔を出される側:
 いつ顔を出されるかわからないので、反応が遅れたり、無駄弾を撃ったりする
 
 つまり互角の索敵状況でおこなう強力な立ち回りとは、遮蔽物を確保した上で、自分のタイミングで顔を出して仕掛ける行動、ということになる。
 
 

・先出し不利(ロックされている状況)について

 
 自分から顔を出したにも関わらず、遮蔽物から顔を出した瞬間に撃たれるのは「そこをロックされているから(ガン見されているから)」である事が殆どだ。
 これは主にスナイパー同士の戦闘において顕著で、敵の出てくる所が予測できていれば、そこへ向けて前述した「置きエイム」をしておくことで五分または有利が取れるようになっている。
 
 つまり顔を出す側からすれば、1~2回使った射撃ポジションは「使い捨て」にすべきだという認識が重要になる。同じ場所からではなく、複数箇所からランダムに顔を出すようにすれば、五分または優位な状況で撃ち合いが出来る場合が多い。
 
 

・猛者が箱に登るわけ

 
 猛者の動画を見ていると、箱状の遮蔽物を利用した撃ち合いで、おもむろに箱の上に登ってそこから撃ち出すというシチュエーションが散見される。これは単純に「上のほうが強い」という理由もあるのだが、APEXにおいては箱に登る際にパルクールアクションが挟まるため、単純な隙の多さでいえば本来不利な行動のはずである。
 
 それでもこの行動が強力なのは「敵のロック外から撃てる」という理由が多分にある。
 
 遮蔽物を挟んで撃ち合いを行っている際、相手がロック(置きエイム等)をして意識しているのは基本的に「遮蔽物の左右どちらか」である場合が多く、おもむろに上部に敵が現れた場合はそこからエイムをしなおすためのラグが生じることとなる。なので登った側からすれば、高台による有利を含めて五分以上に持ち込める可能性が高い。
 
 もちろん、お互いにこの有利を認識している場合は、箱上でカチ合って限界バトルが始まる場合もあるし、逆に箱上に登らずとも、箱上をロックできるよう意識しているプレイヤーは、当たり前に存在する。
 
 

・唯一待ちが強くなるパターン

 
「自分から顔を出したほうが強い」「しかしロックされていると五分または不利」という概念を理解した上で、逆に自分から顔を出さないほうが強い場合がひとつだけある。これは単純に「敵がこちらの存在に気づいていない場合(索敵で完全勝利している場合)」のみである。
 
 スニーク(しゃがみ歩き/断続的な歩き)等を使って接近した際、こちらの存在に気づいていない敵が目の前を通り過ぎるのを見届けてから背後を射撃する、という行動は大きなアドバンテージを持つ。もちろん、索敵で勝利している時点でどのような攻撃方法でも十分強力ではある。
 
 

・高台の優位性

 
 FPSにおいて高所は強いとされているが、なぜ強いのかを正しく理解している人はすくない。
 
見え方がそもそもちがう:
 まずはじめに、これはAPEXの仕様上の問題ではあるのだが、上に居る自分から見える相手と、下に居る相手から見える自分の「見え方」が全く違うということにある。
 プレイヤーのカメラ位置がキャラクターの顔面(目の位置)にあることはなんとなく理解出来ると思うのだが、それが何を意味するかと言うと、つまり上に居る人間は「顔だけ出していれば撃てる」という事なのだ。つまり、APEXにおいて銃弾が実際に発射されているのは、キャラクターモデル上で言う銃の部分ではなく、顔面からである、ということになる。
 高台からの射撃では基本的にこの仕様を有効活用して「ギリギリ顔だけを出して」射撃するのが大切だ。上から撃つ側の見え方としては、自分の足元からギリギリ敵の姿が生えているように見える状況が理想的だ。こうすることによって、こちらからは敵の体の全体が見えるのに対し、相手からはこちらの顔しか見えていない状況がつくれてしまう。
 これらをまとめると、上から撃つことによって、被弾面積を一方的に小さくできるということになる。
 
カバー率が高い:
 地上に居て遮蔽物から顔を出す場合、たとえば複数の敵が別々な場所に散って存在している場合、こちらとしては「片方を見るだけが限度」であり、よく言われる「クロス(十字砲火)」を組まれることで遮蔽物が意味を成さなくなり、やられてしまう、といった事が起こる。
 これが高所で足元を遮蔽物とする場合は、話がかなり変わってくる。つまり「被クロス状態」がそもそも存在しなくなるのだ。撃たれそうになれば2~3歩下がるだけで、全ての射線をカット出来る。
 上手く顔を出す加減を調整できれば、その加減だけで「疑似1v1」を作り出すことすら可能である。
 そしてノックダウンをとる等の優位を得れば、飛び降りて詰めてしまうことすらも出来る。逆に地上の相手からすれば、高台に居る相手のノックダウンを取った所で、そこへ詰めるためには登攀ルートを確保しなければいけないし、場合によっては大幅な迂回にもなるため、その間に回復されてしまうことだろう。
 つまり、確実な安全を確保したうえで攻撃バリエーションも失われない、というのが、高所の利点なのである。