言葉で気持ちの正体を捕まえる

 先日、友人と話していた時に「相談、したりされたりする?」という話題になった。
 
 ちなみに友人は「よく相談されるけど、自分がすることはない」で、私は「相談されることもほぼないし、することもない」であった。私の人望がないという話は、今回の本筋ではないので省くこととする。
 
 

相談をする理由 

 
 まず初めに断っておくと、ここで言う「相談」というのは情報収集や多角的な視点を得たい場合に行うそれではなく、例えば「恋愛相談」のような軽いものの話だ。友人も私も、以下のような点で共通した感覚を持っていた。すなわち「相談するといっても、何を聞けばいいのかわからない」ということだ。
 
 というのも我々は、恋愛相談に代表されるような「自分の心の整理をつけるだけ」というシチュエーションにおいて、他人に話を聞いてもらうよりももっと手っ取り早い解決法を持っているのだ。すなわち、自分の心を「言語化する」という行為である。
 
 

自分の気持ちを言葉にするという事

 
 言語化、などとややこしく書いてはいるものの、ようは「思ったことを片っ端から文字にしていく」というだけの、なんてことのない行為である。書き方は、口語でも箇条書きでも何でも良いのだが、とにかく自分の抱える問題点はなんなのか? それの解決に必要なものは何か? わからない部分はどこか? 伴い、今やれそうなことは何か? など、どんどん思うままに書き連ねていく。
 
 この行為の効果をもし疑う方が居る場合は、一度騙されたと思ってやってみることをお勧めする。もしかすると、面白いくらいに効果があがるかもしれない。コツとしては「正解を求めないこと」である。あえて正解を言うとすれば「自分の心のままに書くこと」が正解だ。
 
 

頭で考える事と言語化する事の違い

 
 さて、こういった事をやったことの無い方からすれば、そもそも、自分の頭のなかにあることなのだから、書き出した所で何の意味も無いだろう、と思われるかもしれない。しかしそれは、あまりに自分を買いかぶり過ぎということになる。
 
 というのも人間、頭の中にあるものは思ったより混沌としていて、整頓されておらずグシャグシャな状態にある。わかっている、と思っている事でも、本当はよくわかっていなかったり、著しくディテールが甘かったりするものだ。
 
 書き出して言葉にするという事は、そのグシャグシャした何かを「意味のある形に整える」という行為だ。自分がよくわかっていない部分を浮き彫りにしてくれるし、他にも、これから何をしなければいけないのか、そして時には、自分が何をしたいのかさえもわかるようになる。
 
 

ゼロ秒思考

 
 ちなみにこの「心の中を書き出す」という行為、実際にビジネスの場においても有用なツール・スキルとして認識されている。試しにAmazonや書店で「ゼロ秒思考」と名のつく書籍を探してみれば、すぐ見つかるだろう。
 
 ゼロ秒思考の手法というのは、非常に短い時間(書籍では確か1分)を設定して、その時間内に自分がその問題について思っている事、考えている事を書き出していくという繰り返しだ。書き出しの効果については上に記した通りだが、ゼロ秒思考の最終目標は、これを習慣化する事によって「言語化のプロセスそのものを体に叩き込み、頭の中だけでもスムーズに情報を整頓出来るスキルを得る」というものだ。
 
 少し冗長な説明だったが、つまり「言語化」というのは、スキルなのだ。やればやるほど上達する。書き出してアウトプットすることが出来る人間は、程度の差こそあれ、頭の中の整頓も得意なのである。
 
 

感情の正体を掴む

 
 さて、ビジネスの場においては主に「問題解決」のために書き出しを行う事が多いが、これとは別に「自分の気持ち」すらも整理する事が出来るというのが、この「言語化」のスゴイ所だ。
 
 方法は同じで良い。これまで「何が問題なのか」としていた所を「自分がこのような気持ちになるのは何故か」に置き換えれば良いだけだ。なんだかモヤモヤするな、と思ったら、ザーッと書き出してみるといい。
 
 例えば、友達との集まりにおいて、特定の人物が居ると何だか楽しめない場合があるとする。そこでまず「何故自分は、その子が居ると嫌な気分になるのか」という所から始めて、思い当たる物を全て書きだしていく。あの子のこういう所作が嫌。あの子が居ると、別な友達が私の事を構ってくれない。あの子の見た目が嫌、などなど。細かい事でも問題ない。思ったことなら、何でも良い。
 
 この際、自分に嘘をつく必要はない。なぜならそのノート、スマホ、もしくはPCは、自分だけしか見ないものだからだ。それに、自分に嘘をついてしまった段階で、この「書き出し」の効果は無くなってしまう。そもそも自分を知るための書き出しなのだから、嘘をついてしまっては、元も子もない。
 
 上手く書き出しが出来ると、自分の「嫌だな」という感情の正体を掴む事が出来る。自分が一体何に対して「嫌だな」と思っているのか、具体的に絞り込むことができるのだ。そして、それは思っていたより致命的な事であったり、逆に、思ったより大した事ではなかったりもする。
 
 いずれにせよ、書き出す前よりは自分の事をよく知っている状態になれるわけだ。自分の感情の正体がわかれば、これからどうすれば良いかの道筋も、はっきり見えてくる。
 
 

「恋愛相談」はキャッチボールで行う言語化

 
 さて、前提知識という事で長々と話してしまったのだが、ここで冒頭の「相談」の話に戻る。
 
 こと「自分の感情を整理する」という意味において行われる相談、すなわち恋愛相談のような軽めの相談が何故行われるのかという疑問について、これは友人と話していて思いついた仮説なのだが、つまり、こういった相談事というのは「他人を介して行う、自分の心の言語化」なのではないだろうか。
 
 もちろん相談には相手が存在するので、相手の意見や意識も一部は入ってくるだろう。しかしこの行為はどちらかといえば被相談者の語彙を利用して自らの気持ちを言語化しているというのが本体なのではと思っている。「話してるうちにまとまってきた(落ち着いてきた)」というシチュエーションはありがちだが、それもつまり、そういうことなのだと思う。
 
 それを踏まえると、もしかすると自らの気持ちを言語化するスキルを持たない人間ほど、他人に相談をするのではないだろうか。例えば私と友人のように、他に自己分析の手段を持っている人間にとって、他人への相談というのは「情報収集」以外にありえないのだ。
 
 

言語化というスキルを持たない辛さ

 
 基本的なアウトプットが出来ない、書き出しが出来ない人々というのは、思ったよりもかなり多いのではと感じている。
 
 そして、彼ら彼女らが抱えているストレスというものは、言語化スキルを持つ者のそれと比べて、想像を絶するほどに巨大なのではないだろうかとも思う。なにせ、自分の心が何故動いているかもわからず、そのせいでこれからどうしたら良いかもわからないのだ。それはあまりにも苦しい。
 
 なのでもし、周りにそういった気配のある人が居るのであれば、また、その人間の事を少しでも大切に思っているのであれば、なるべく押し付けがましくなく、定期的にガス抜きの場を用意してあげるというのが良いかもしれない。
 
 そしてその際、こちらがすべきなのはアドバイスではなく、彼または彼女の「心の言語化」を手伝ってあげる事だ。
 
 
 ということで、思ったよりしんどい思いをしている人が多いのではないか?と考えてぐだぐだと書き出してみました。